新暦最初の元旦 茄子作 九
壁にかけた初暦の折目が冷たく揃ってっているのは」なにかヒヤッとする新鮮さです。
初暦めくれば月日流れこむ。日本最初の新暦(太陽暦)による元日は、明治六年のことでした。それまで、持統天皇八年(AD六九二年から一一八一年間いうもの、陰暦が使われて来たのですが、明治五年(AD一八七二年)の十一月九日、政府は突如として、改暦を布告しました。
「来ル十二月三日ヲ以テ、明治六年一月一日ト定メ」
と。
.今日でさえ、旧暦で行事をおこなう風習があるくらいですか
ら、当時の人々の心中はタイへンなもので、老婆が「師走(し
はす)の三日に正月が来るなんて、けったいな」と嘆けば、職
人は「されば、昨日は十二月一日で、明日は一月一日だという
のか。そんなら十二月の二日には三十日分も働かなければなら
なくなる。徳川の正月の方がいい」という次第。
では、なぜ政府は陰暦を陽暦に改めたのでしょうか。万国共通の日付にする必要と、旧暦にまつわる様々な迷信を一掃する意図があったことは知られています。しかしこれが、わざわざ「明治六年」にかぎって断行された裏には、国の財布の事情があったのでした。
すなわち、旧暦だと、明治六年には、まるまる一ヶ月を閏月(うるうづき)として、ふやさなければならないのですが、維新前は官吏の俸給が年給だったのを、維新後は月給日給制度にきりかえていました。となると、、明治六年には官吏へ月給が十三ケ月分となってしまう。
ただでさえ、窮屈なのに、一ヶ月分の余計な支出は無理だというわけで、明治六年を新暦に切りかえて、閏月を消し去ったという裏話です。.
おかげで、官吏十二月分の月給と翌年もらうはずだった閏月分の月給をもらいそこねるというオソマツでした。