他山の石 「富士山を枕に」 茄子作 九
ある日、退屈した秀吉はつらなる武将たちに「ひとつ大きな歌をよんえみよ。」と命じました。
面々は首をひねったり、五・七・五・・・と指を折ったり、その出来映えは次のとりでした。
富士山を枕となして寝ころべば
足は堅田浦にこそあれ
細山幽斉
日の本にはびこる程の梅の花
大地に響くうぐいすの声
福島正則
大海を酒のかわりに飲みはして
あたりの山をつまみ食いする
加藤嘉明
須弥山(しゅみせん)に腰うち
かけて世界をば呑めど咽(のんど)さわらざりけり
加藤清正
須弥に腰かけて世界を呑む人を
小指のさきではねとはしけり
曽呂利新左門
イヤハヤ大したものではありませんか。
いつまでたっても四畳半式の考えにせぐくるまり、それも次第に目の先三寸の算段にちじこまる手合いは、その近眼メガネをふっと
はきれてしまいます。
小さな、しみったれたおのれー個のことがらで、トグロを巻く者は、「世界はわが教区」と喝破したウェスレーなみのビジョンをかかげたいものです。
あのエルサレムの都だけで満足しょぅとしていた弟子たちは、
「エルサレム、ユダヤとサマリャの全土、および地の果てにま
でわたしの証人となります。」
と、主イエスに押し出されました <新約聖書・使徒1・8〉。
きょうも、祖国をあとに、海を越え、山を越えて、南に北に雄飛
している宣教師の姿を見たならば秀吉さんはなんと云うことでしょう。