実にこの方は義人なり ルカ23:44~49
「この出来事を見た百人隊長は、神をほめたたえ「ほんとうに、この方は正しい方であった」 ルカ23;47
イエスはついに十字架の上で息を引き取られ、死が確認されました。だれもが、強盗どもと三つの十字架の一つに、人々の嘲笑と呪いと侮辱のももとにイエスは死んだ。イザヤが53章で予言していたように、だれもが、彼は神に罰せられて処刑されたのだと思われていた。
ところが、思いがけないところから「この方は、まことに神の子であった」<マタイ27:54>と感嘆の声をあげるものがいたというのです。それは、イエスを十字架にはりつけにするために責任者であったはずのローマの百人隊長であったというのです。
イエスは死に際して、一人の死刑囚であった男を回心に導き、さらに、まさに死なんとするときローマの高官に神の証人となって、伝説によれば彼は後にクリスチャンとなったといわれています。
彼の名は「ペトロニウス」といわれ、さらに、イエスの脇腹に槍を突き刺したローマの兵卒もイエスの荘厳な死にクリスチャンとなり、、その最後は殉教死したと伝えられています。(『殉教者伝』)
ここで、思い出すのは、三浦綾子が晩年ガンやいろいろ難病に冒されながら信仰的書物の執筆活動 続けていましたがそのときの彼女の口癖は「私には死という最後の仕事が残っている」であったそうです。死を負として、残念無念として捕らえるのでなく、今まで生かしてくださった神に感謝し、与えられた使命の完遂のための最後の、まさにクリスチャンに与えられた「仕事」だったのです。イエスが息を引き取られる直前までその「仕事」に励んでおられたご様子を思い浮かべて、深い感銘を受けるのです。
作家の山田風太郎は。古今東西の900人にのぼる著名人の「臨終図鑑」を書きにのこしているが、その臨終に立ち会った者は、誰一人も「この人はまさに神の人でした」と証言するものがいたと報告はされていません。
イエスは「死刑囚」なる屈辱逆境の中にも、近くにいたローマ兵に強烈な「神いませり」の感銘を与えたと伝えられているのです。
クリスチャンも死を、お葬式を通して、あの人は本物のクリスチャンであった。わたしも、あの人が信じた神を信じていきたい、と感銘を与えるかことができる最後の「仕事」し心がけたいものです。。