私がそれである ヨハネ 4:16~26
女はイエスに言った。「先生。私が渇くことのない・・・その水を私に下さい。」 ヨハネ4;15
インターネットのある若者が「こころの渇きを癒して下さい(涙)」と訴えているのをありました。そして「空腹飢餓」それとは別にある心理学者は「空心飢餓」と新語を紹介しています。
確かに、多くの人はこころの渇きを漠然と感じていることでしょう。でも、その渇きの原因がわからす、自分の欲求を満たせば癒されるだろうぐらに考えていませんか。
今、イエスの前に「空心飢餓」の女がいます。日陰の生活で、人目を避けて真昼間井戸に水汲みに来ています。ところがイエスとの会話に中に「私が与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出します。」
女は、もちろん飛びつきます。ただ霊的意味もわからずただのH2Oをもらえるものと期待して・・・。ところが、ところが、イエスの口から出た言葉は百雷のとどろきにも増して彼女を仰天させたことでしょう。彼女の心の渇きの根元を、単刀直入に指摘したのです。「行ってあなたの夫をここに呼んできなさい」と。実は、彼女は男癖が悪いというか、男運に恵まれなかったというか、今までに5人の夫があったのに、いまは6人目の男と同棲中だったというのです。
たしかに、彼女にとって男は、例え一時的であっても慰め、渇きにいやしを与えてくれたことでしょう。しかし、そのことで世間から不身持女とか、「売女」など、陰口をたたかれ、まともな近所づきあいも失っていた。それが「真昼間」のだれも人気のない時間帯を選んで水汲みにやってく「空心飢餓」の気の毒な女性でした。
私たちも、何か気休め的なもでうっぷん晴らしをしながら、「渇き」を紛らわしていることがあるのではありませんか。H2Oでやされるものと・・・。
女は、一番見ず知らずの旅人に知られたくなかった生活の恥部であり、渇きの根元であることを、イエスに一喝されて、電気ショックに打たれたように、彼女はそれを素直に認めて
「先生。あなたは預言者であると思います」と、宗教の世界に目醒めていきます。彼女もイスラエル民族の一員です。幼い純真無垢少女時代には、両親と一緒に会堂に毎安息日に礼拝に出席して聖書をまなんでいたようです。25節で「女はイエス言った。「わたしはキリストと呼ばれるメシヤ(救主)が来られることを知っています。」と告白しています。床下のダンゴ虫のような生活に落ち込んでいても若いときの宗教教育は、彼女のこころからは消えていなかったことをしります。
実に、女の前に立って、忍耐と慈愛をもて、こころを開き「活ける水」をこころに満たして下さる方。「あなたと話しているのが私です。」これで女の人生一変。次週にご期待。