死後の世界はないという者たちに ルカ20:27~40

 「復活があることを否定するサドカイのある者たちが・・・。」
                                            ルカ20:27
 「復活」を信じるのは、古代の非科学時代の人たちで、誇り高い現代人は、死人のよみがえり・復活なんて信じられないという。ところが、今日の聖書の箇所に、イエスの時代に、「復活否定論者」らがいたこと録されているのです。しかも、「サドカイ人」とは、当時の社会で上流に属する連中で、富、権力、名誉を手にした、政治家や神殿の祭司長らも輩出していた超特権階級の連中でした。
 ある人は言う「それ見ろ。昔だって知識階級の人たちは復活を信じていなかった。信じていたのは無知蒙昧な・・」と。
 ところが、聖書を注意深く読んでいただきたいのですが、初代教会は、この自称インテリ層をも反論できないほどに「キリストの復活の事実」をもって彼らを沈黙させ「復活信仰」こそが、初代キリスト教会の「宣教の中心」となっていたとこを思い出していただきたい。。
  さて、サドカイの何人かが、薄ら笑いを浮かべながら、イエスに恥をかかせようと迫ってきたのです。彼らが持ち出した議論は「男運の悪い女がいて、亭主に次から次へと死に別れ、7人の夫の妻になった。」
そこで、彼らは「すると、復活の際、その女はだれの妻となるか」と、カラカイ半分でイエスに言いがかりをつけてきたのです。
 さて、イエスは・・・、動ずることなく「死後の生活には、結婚関係はない。御使のようであり、また神のこどもになるのだから死ぬこともない」(34~36節参照)。サドカイ人らは死後の世界も現世界と同じと考えたところにあやまりがあったのです。蝉だってトンボだって、どろんこの中の幼虫生活と全く違った大空にへと飛翔して全く新しい生活形態に変わっていくではないか。
 さらに、イエスは死後の世界の存在証明に出エジプト記3章6節を引用し「私は『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』」と。これは、サドカイ人も認めるモーセの書の一節です。モーセが神からこの一言を聞いたとき、アブラハム、イサク、ヤコブらはすでに500年以上も過去の人たちでした。それを、神は今も現在形で「私は『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』」と。かつて昔に彼らの神であったばかりか、今も私は彼らの神である、というのは、神は死者の神にあらず生けるものの神であると言われたのです。
 これには敵も舌を巻きました。「先生。りっぱなお答えです」と。(39節
。)イエスは、間もなく十字架の死を通し35日後に実際に死から復活して論より証拠を示されました。
 聖書の復活信仰は、イエスの目の前の否定論者を黙らせるほど確かなものであったのです。

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