怒れるイエス ヨハネ2:12~17
「細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し」
ヨハネ2:15
実は、この時エルサレムは年に一度の大きな「過越の祭」のときで、大勢の人でごった返していました。
とくに、神殿には世界中から集まる善男善女で境内は埋め尽くされていたようです。ところが、その「集まり」をあてこんで行商人が、声をからして商売に励んでいました。
ちょうど日本の祭りにも、必ず怪しげなダフ屋が集まり、神社仏閣の境内は、仮設小屋がたち並び、子供のころはそれが楽しみでした。
ところが、我らの主イエスは、その商人たちを、縄で鞭をつくって、それを振りまわしながら追い散らし始めたというのです。イエス大いに怒る!!
宗教といえば怒らない、慈愛に満ちたご本尊を想像しがちです。とくに、キリスト教は愛の宗教と世間からレッテルを貼られて、「怒らないクリスチャン」を理想と思っている人たちが多くいる。そんな人は、この「鞭を振り回す」イエスをどう思うのでしょうjか。
躓く人もいるかも・・・。
イエスは、何に対して「怒って」いるのか。イエスは、神聖であるべき神殿を怪しげな商売で汚している、と。16節「わたしの父の家を商売の家にしてはならない」と、いう理由だったのです。
確かに、今日の教会の境内で商売をするものはいないでしょう。でも、神聖なる礼拝所をくだらない世間話や、ときには、非宗教的な社交場に化してしまっていたことはなかったでしょうか。
ところで、「怒らないクリスチャン」も、ことが自分の利害に関係してくると、「無視された」とか、「俺は損をした」と、怒りをあらわにする人はいるのではありませんか。イエスが怒っておられるのは、神殿が汚されていることに対してであることを注視してください。
私たちも、自分がどんなに辱められても、本当に怒るべきは、神の主権が冒され、神の御名が汚されるようなときにこそ義憤をもって世の不信仰に怒りをもって立ち向かうべきではないでしょうか。
聖書を読むと、神は至る所で悪に対して怒っておられます。そして、世の終わりには、イエスは審判者として来られる事も心に銘記しておきたいものです。