他山の石 「秀吉と松茸」 (9) 茄子作 九

ある年の八月末、秀吉は東山の松タケが見事だと聞いたので、近日、松タケ狩りに行くことにしました。 家来は、さっそく付近一帯の松タケをとらせないよう手配しましたが、すでに京の者たちが取ったあとで、残り少なになっていました。
 そこで、あわてた家来たちは諸方から取り寄せた松タケを一夜のうちに植えつけておきました。 さて、秀吉は女房どもを引き連れて、松タケ狩りに打ち興じました。しかし、女房の一人が、実はカクカクシカジカで……と告げました。それを聞いた秀吉は笑い、「そんなことは、もうトツクに知っておるわい。だが、家来どもが苦心のほどを思えば、知らんぶりをしているのだ。だまっておれ、だまっておれ」と、いましめました。  *  *  *  * 
 また、山城の山里というところを、梅松という坊主にあずけました。感激した梅松は、「あらたに松を植えましたところ、ほどなく松タケが生えましたので」と献じて来ました。秀吉は、「わが輩の威光なれば、さもありなん」と笑って受けました。しかし、その後、何回も献じて来たので、秀吉は近臣を通じて、「もはや松タケを献ずることはやめよ。生えすぎるわい」と伝えさせたとのことです。実際はよそから求めて献じていたのです。 人の善意を暖かく受け入れて興ずるこころは嬉しいもので、御霊の実の一つにも〝善意″があげられていました。
       <新約聖書・ガラテヤ五・22>。 

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