主がお入り用です ルカ 19:28~40
主がお入り用です」 ルカ19:34
いよいよイエスのエルサレム入城です。
イエスは「さらに進んで」と、文語訳では「先立ち進みて」と、積極的な歩調で前に進んで行かれる様子がうかがわれます。
ところで、イエスは、どこへ、何のために、といえば、十字架の処刑のため、「パッション」の世界への前進だったのです。それは、私たちの罪の贖いの身代わりの死のためであったのです。
私たちなら、近代設備の完備した病院で、「死」を宣告されただけで、滅入ってしまうか、卒倒してしまいそうです。
私たちも、必ずやってくる「その日」が来たら、「さらに進んで」「先立ち進んで」と・・・イエスのお姿を心に銘記しておきたいものです。
さて、30節にイエスはロバを「連れてきなさい」と、弟子たちに命じられました。ロバに乗ってのエルサレム入城のためであったのです。世界のメシヤ・救世主が最後エルサレムへという歴史的な大事件、大事なときに「ロバ」が用いられようとしているのです。
ロバは、英語でもドンキーといって、のろま、トンマ、ウスノロの代名詞となっています。ローマ兵の乗っている駿馬でなく、競馬のサラブレットでなく、農耕馬、背が低く、耳は長く、目は小さく、一日中目かくしされ石臼を黙々引き回っていても文句を言わない、不格好なロバ。 このロバが「主のお入り用です」と、晴れの一世一代の舞台に用いられようとしているのです。しかも、これは、イエスの気まぐれでも、酔狂でもなく500年前の預言者ゼカリヤによってなされていた預言の成就のためであったのです。(ゼカリヤ9:9参照)
私たちは、主のために何ができるか。「私なんか、能なしで何にもできません」というか。主はロバを「お入り用」と、用いられました。これは、「能なし族」には、慰めであり、言い訳無用で、「主はお入り用」と声がかかれば「はい、ここにおります。」と、飛び出していく勇気を与えられるのではありませんか。主は、優秀な、信仰深いルターやカルヴァンを用いられると同時に、どこの馬の骨ならぬ、私たちのような
「驢馬」「駄馬」 をも用いて下さるのです。
「それは誰も誇ることのないためです。」Ⅰコリント1:29