エルサレムから ルカ24:44~49
「罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。」 ルカ24;47
イエスは復活され、多くの人々に現れて、「キリストの死よりのよみがえり」は疑いの余地のないほどに、初代教会の中に受け入れられていきました。そこで、イエスは弟子たちに、福音は「あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。」 ものであるち宣教命令を与えられるのです。 その、出発点を「エルサレム」からと言われたのです。
これは驚くべき計画でした。考えても見てください。エルサレムは神殿の宗教屋どものに先導された群衆が、こぞってイエスを十字架につり下げた憎むべき町ではなかったか。過去にかえれは、正義の予言者たちを代々にわたって殺し、そのくせ、自分たちこそ神の選民とのプライドばかり高く、実態は偽善、腐敗、自己義認の頑固な不信仰の都。最悪の都!
復活されたイエスは、この憎っくき、町に復讐してから、敵どもを殲滅させてから、後顧の難を絶ってから新天地に向かって「伝道」を始めよ、なら私たちにもよく理解が出来ますが、この「最悪徳の町」から伝道を始めとは恐れ入ります。罪人を棄てられず、罪人故に愛し、救いへの努力を惜しまれない、イエスは生前の救世主たる立場は全く変わっていなかったのです。
愛というは「私たちが神を愛したのでなく、神が私たちを愛して下さった・・・・ここに愛がある。」(第一ヨハネ4:10)
救いの福音は、救われようもない「エルサレム」から、ということは、思えば、
私たちだって、神の前に大きな顔をして「救われる資格者」と高言する者もないでしょう。
テレビを見ていたら老人ホームの85才の男性が、七夕の短冊に「真っ黒な心を真っ白にして下さい」とかいていた。戦時中の大量殺人、戦後はやくざ稼業で自分の心は真っ黒だというのです。でも、お気の毒です。タナバタの星にいくらお願いしても、何が解決されよう。
「エルサレム」は神からご覧になれば真っ黒けのけだったことでしょう。でも、
「キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、「エルサレムから」始まってあらゆる国の人々に伝えられた。」46節
どんなに「極悪人」であれ「最極悪の町」でも、自分の非を認め、死人からよみがえられた我らの罪の贖いを完成して下さったイエスを救主として受け入れれば、どんな人をも救おうのご慈愛の福音を世界の果てにまで宣べ伝えよと言われる。