アリマタヤのヨセフ ルカ23:50~56
「この人が、ピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願った。」 ルカ23:52
イエスは十字架上で絶命。次は葬儀です。ここに突然、いままで聖書の中に登場していなかったアリマタヤのヨセフなる男の出現です。50節を見ると、「ヨセフという議員のひとりであって、りっぱな、正しい人であった。」と紹介されています。名誉も資産もあるヨセフが今になってキリストの亡骸を引き取ると言うことは、日頃から、口に出してクリスチャンだあることを告白はしていなかったが、いわゆる隠れキリシタンのたぐいであったと思われる。
それなのに、今ここに至ってキリストの死、ローマの百人隊長をして「この方はまさに神の子」と告白せしめた壮絶で偉大なる死に、接し、彼の今までの臆病で卑怯な信仰を恥じて、イエスのムクロを引き取ろうと・・・・それは、彼に一世一代の大決心であったはずです。
なざなら、イエスはほかの罪人と同じく処刑されたのあって、イエスには神を恐れぬ冒涜者、ローマに反逆する治安騒擾罪など恐ろしい罪名がつけられたいたのです。だから、ユダヤの議会が、また民衆が敵に回し、イエスへの理解と同情を持つ者はほとんどなかったはずです。
ここに、アリマタヤのヨセフが総督ピラトのもとに、イエスの遺体を受け取りに行くと言うことは、彼もキリストの一派と思われ、社会的に築いてきた名誉も資産もみな失うおそれがあったはすです。マルコ15:43を見ると「アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトの所に行き、イエスの身体の下げ渡しを願った。」とあります。彼は今までの我が身の保全のため、世間体をこだわり、思い切った信仰を表明することができなかった。しかし、今「主よ。赦し給え。今までの卑怯者を、臆病者を・・・・。いまよりあなたの弟子としたまえ」と、 祈りながら、黙々とイエスの遺体を葬ろうとしていました。
第二次世界大戦のとき、日本でもクリスチャンたちは敵国お宗教を信じるものと、多くのクリスチャンや牧師は投獄され、獄中で殉死した方もいました。
そんな中で、一人の牧師は神田の留置場に入れられていたとき、教会ではあまり目立たなかった、一人の美しいご婦人が、面会にこられ、その時代どこで手に入れたかおいしいあんころ餅が差し入れられた事があった。そのことが戦時中一番うれしかったと、戦後、私達神学生の前で証しをされたことがありました。官憲をおそれぬ堂々たる信仰告白だったのでしょう。
教会隠れキリシタンはいませんか。アリマタヤのヨセフのとように大胆に敢然とイエスを受け入れる方はいませんか。教会に先頭に立ってご奉仕に当たっていただける「ヨセフ」出でよ!!です。
イエスを信じ慕う者あるか、アリマタヤのヨセフに続く者あればあれ。