よりどころの崩壊 ルカ21:20~28
エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。」 ルカ21:24
イエスの時代の人々にとって「都エルサレム」は、とくに、そこに建てられていた神殿は、彼ら民族の象徴、栄光のシンボル、生活のささえー生活の拠りどころでした。
ところが、イエスは、エルサレムの不信仰と道徳の退廃の故に、「滅亡」を宣告されました。それは、イエスが予告してから約40年後AD70年にローマ軍によって木っ端みじんに、徹底的に 破壊され、その予言は成就しました。
人々は、黄金に輝く、神の許しのもと建てられた神殿なら、金城鉄壁、難攻不落を信じていました。ちょうど、第二次世界大戦の時
日本人が「神国」ゆえ神風が・・・とより頼んでいたが、みんな空頼みだたように、エルサレムは破壊されるのです。
それが、かつて神の号令によって建てられたものであっても、そのうちに「信仰」が失われてしまえば、神を恐れぬ悪がはびこり始めたとき、神はどんな豪華なものでも容赦なく取りのぞかれる方であったのです。
いま、経済界は100年に一度の大恐慌に見舞われています。
いままで、財産、資産にあぐらをかいて安穏としていた人々にとって、人生の基盤はあっけなく吹っ飛び、失った方も多くいらっしゃるのではありませんか。なにも個人の人生に限りません。古代の栄華を誇ったバビロンも、鉄の帝国・ローマも、また、軍事力で世界制覇の野望をもったナチ、日本軍国主義も、決して永遠の「砦」にはなれませんでした。みな「滅亡」していきました。
キリストの弟子パウロは「私たちは、見えるものにでなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり・・。」と。
<第二コリント4:18>
だからイエスは「 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。」 <マタイ6:20>
また、人生設計が砂上の楼閣でなく岩盤の上に築きあげなさいとも教えられました。<マタイ7:24~27>