他山の石 「武人と和歌」 茄子作 九
江戸築城で有名な太田道灌が鷹狩りに出て雨にあい、小家で蓑(みの)を借りようとすると、少女が山吹の花一枝を差し出したので、怒って帰りましたが、それは、
七重八重花は咲けども山吹の
みの一つだにななきぞ悲しき
という古歌のこころであ.ったと知り、大いに発憤して名を成した話はよく知られています。
しかし、その後おさめた和歌の道が大いに役立った後日談をご存
じでしょうか。ある時、罪を犯した七人の者が一つ屋敷にこもって捕り手を寄せつけません。すると道灌は「七人のうちの一人は助けることになっているから気をつけよ」と呼ばわれば、七人は自分がその一人だと恩ってひるむから、そこを突けと命じました。その通りになりました。
世の中に独り止まるものならは
もし我かはと身をや頼まん
という古歌によったものです。
また、千葉攻めの折、山路は石矢でねらいうちきれたので、干潟を通って攻め込むことになりましたが、道灌は耳をすましただけで潮の干いていることを判断しました。すなわち、
遠くなり近くなるみの浜千鳥
鳴音に湖の満ち干をぞ知る
という古歌によって、千鳥の声が遠く聞こえたからなのでした。
またある時、夜中に利根川を渡ることになりましたが、闇きは闇
し、浅瀬はどこにあるのかわかりません。しかし、
底ひなき淵やはさわぐ山川の
浅き瀬にこそあだ波は立て
と古歌にあることから、波音の高いところを渡れと命じて、無事、渡河をはたしました。
武人と和歌とは緑が無いように見えますが、どういたしまして、このようなこともあるのです。
花を植えたり戦きもしたり。聖書にも帯剣歌人ダビデがいました。